ヤマニ醤油からのメッセージ

復興への想い

散り散りにならざるを得なかった人たちに、
ヤマニの醤油で故郷や家族を思い出してほしい。

あと10秒遅かったらダメでした。

そこに、まさかの大津波が来ました。
私と家族は防災無線の声も波にかき消され途絶える中、迫りくる津波を背に、高台を目指し全力で走りました。ようやく高台にたどり着いて間もなく、巨大な濁流が、一気に私たちの足元を走り抜けていきました。振り返ると見慣れた町はそこになく、私はただそれを茫然と見ていました。頑強だと思い込んでいた醤油蔵や自宅が、いとも簡単に流されてしまった。おおよそ現実味のない不思議な感覚の中で、醤油屋としての長い長い役割が本当に終わったと思いました。

以前のヤマニ醤油本社
2011年5月4日の陸前高田本社周辺

希望をつなぐレシピを発見。

津波が引いた夕方、避難場所より上の丘から工場跡と自宅を確認すると、無残な光景の中でも、事務所のブロックが残っているのが見えました。醤油のレシピさえ残っていれば、ヤマニの味が出来る。私はそこに希望を見ました。「朝が来たなら事務所に行ってみよう」そう妻だけに話し、その晩は夜中にまた大津波が来ないことを祈りながら過ごしました。翌朝、まだ続く余震の中、無我夢中で一人事務所に行き、ついに製造レシピを発見しました。その喜びは今も忘れません。被災者から起業家へと、確実にスイッチが切り替わった瞬間だったと思います。

故郷を思い出す味をつなぎたい。

ヤマニ醤油は、150年近くも続く老舗にも関わらず「一体どこに行ったら買えるの?」と、聞かれる不思議な醤油屋です。ヤマニ醤油は創業以来、御用聞きのスタイルを愚直に守ってきました。自宅まで届けることで、普段着のお得意様と自然に会える。「ヤマニさん」と笑顔で家族のように迎えていただき、笑顔で見送ってくれる。そんな日常の親しみ感を大切にしたい。そのような思いから量販店には一切卸しておりませんでした。
今やその町並は消え、もうそこには誰も住んでいません。しかし、どこかでヤマニの味の復活を待っていてくれる人たちがいるかもしれない。私の心は故郷の味を絶やしてはいけないという思いにあふれました。

中 / 以前のヤマニ醤油本社
下 / 2011年5月4日の陸前高田本社周辺

流されたからこそ新しく。

明日をも分らない避難所生活の中で、私はしばらく経営の現場から離れ、これからのあり方について考えていました。
地域の絆を大切にする普通の生活はもう、どこかに行ってしまいました。しかし、今の投げやりになりそうな心を救ってくれるのは、家族と過ごした平凡な懐かしい安らぎの瞬間ではないでしょうか。
慌てないで前に進もう。今こそヤマニの味を届ける方法をゼロからしっかり考えよう。これまでと同じ商法が無理なら、もっと柔軟に新しいことに積極的に挑戦しよう。ヤマニの味が大好きな人が納得すれば、どこで造ってもヤマニはヤマニ。大事なのは、お得意様の本当の笑顔と古いこだわりから脱皮することではないか、と私は考え始めました。

そんな時、岩手県花巻市の老舗、佐々長醸造さんに「蔵を使わせて頂けませんか?」とお伺いしたところ、佐々木博社長は快く引き受けてくださいました。製造レシピはあります。ヤマニ醤油の蔵人もいます。花巻と陸前高田の蔵人たちがレシピをもとに以前と変わらない味の再現に挑戦し、ようやく3種類の商品が完成。本格手作り「ヤマニ ほんつゆ」、地元限定商品「上級醤油」、そして新商品の「しょうゆ天使」を販売開始することが出来ました。

復興のシンボル「しょうゆ天使」。

「しょうゆ天使」のイラストは、陸前高田出身の女性の方のご縁で、故やなせたかし先生に描いていただきました。ヤマニのロゴを頭に頂くしょうゆ天使 が陸前高田の海を渡り、笑顔でしょうゆを配達する構図で、「温かい食卓の団らんを直接届けよう」というヤマニの理念にピッタリでした。

今日のヤマニは昨日よりももっと懐かしい。

ヤマニの醤油は日々変化しています。お客様から私たちの元に帰ってきたアンケートハガキには、あの味はこうではなかった、と時に厳しいお言葉を拝見します。今もなお、探求を続ける日々ですが、もしも求める味があるとするなら、それはいわば、レシピには決して載る事のない、みなさんの心に刻まれた記憶の味。しかし、わたしたちはそこにこそヤマニの理想の味があると考えています。思い出の味に応えたくて、わたしたちは毎日、商品を改良しています。これからもヤマニは御用聞きの気持ちを失わず、ひとつひとつ大切な味を守って行きます。

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